『黒い獣』













「コロシテヤル」

 なんてことを凶った瞳で言う白のお姫様。

 横島は深刻に頭を抱えた。

 どうやって止めよう。

 事の発端は横島の問いかけ。

 ひとまず手近なホテルに潜伏して腰を落ち着けたのだが、公園でのやり取りのせいで微妙に気まずい空気が流れていた。
 
 ので、横島が話題を作るために聞いたのだ。

 アルクェイドを斬った少年はどうするか、と。

 その返答が冒頭の不穏な言葉だ。

 放って置けば実行することは確実。

 横島は一応ゴーストスイーパーなので、妖魔が人を害するというのなら、それを止める義務がある。

 なにより、アルクェイドに人を殺して欲しくなかった。彼女は仲間だし、美人なのだから。

 どちらの理由が本命なのかはさておき、横島は説得を試みることにした。

「なあ、アルクェイド。人殺しはいけないことだと思うんだ」

 などと、あたり障りのないことを言うが、効果が有るはずも無く、なんか言ったかゴルァ、とでも言いたげな怖い目を向けてくる。

 横島は目をそらしたくなる気持ちを、ぐっと抑え、効果のありそうな言葉を探す。
 
 が、そんなものが都合よく思い浮かぶはずも無かった。

 横島が自分がまったくもって器用な人間ではないと悟るのに、そう時間は掛からなかった。

「アルクェイド……」

 もはや方法は一つ。

 ただ単純に自分の思いをぶつける直球勝負。

「俺はおまえに人を殺して欲しくない」

 アルクェイドの視線が胡乱げなものに変わる。

「なにが言いたいの?」

「俺は……ゴーストスイーパーだからさ、もしアルクェイドが人を殺してしまうと、俺はおまえと戦わなけりゃならない」

「そうね」

 アルクェイドが敵を見るような冷たい目で横島を睨む。

 それを気にしないようにしながら、横島は言葉を続ける。

「俺は……」

 横島は、いまこそ自分の本音をぶつける。

「綺麗なねーちゃんとは戦いたくない。だから人殺しはやめろ」

 アルクェイドの視線が何故か呆れたような、馬鹿を見るようなものになる。

 自分の嘘偽りのない真面目な話をしたというのに、何故?

 横島が本気で首をかしげていると、アルクェイドの疲れたような声がかかる。ちなみに疲労の原因は傷ではない。

「横島、あなたって……馬鹿ね」

「断言された!?」

「出会ったころから妙な人間だとは思っていたけど……、ここまで常軌を逸しているとは思ってもみなかったわ」

「ひどっ!?」

「なに、その理由は? ふざけてるとしか言いようがないわね」

「そこまで!?」

「でも……」

 そこで、アルクェイドは言葉を区切り、横島の知る限り初めて、??笑った。

 まるで少女のように無邪気な微笑み。

「ま、いいか。あの人間は殺さないことにしたわ」

 笑いながら、アルクェイドはいきなり意見を変えた。

「横島とは敵対したくないしね。あなたは信用できるし、文珠なんてものまで使えるし」

 横島は手のひらを返したように、急に言うことが変わったのを訝しく思った。
 
 が、もとより深く考えるような頭は持っていないので、結果良ければすべて良しと納得した。

「んじゃ、あの学生は仲間に誘うってことでいいか?」

「…………はい?」

 あ、呆けたような顔も可愛いな、とか思っていた横島に、即座に持ち直したアルクェイドの突っ込みが入る。

「ちょっと待って。なんでそういう話しになるの?」

「いやあ、なにしろアルクェイドを瞬殺したようなヤツだからな。利用しない手はないだろ」

 かつてあの美神令子の下で働いていた横島である。彼女の悪魔以上に悪辣な知恵ほどではないが、立っているものは親でも使う程度の悪知恵はもっている。

 アルクェイドはふかーく溜め息をついて、呆れたような視線を投げながら問い掛けてきた。

「……わたしを殺しておきながら仲間になんてならないと思うけど?」

 もっともな意見であるが、

「問題ない。文珠で『洗』『脳』といれれば簡単に??」

「却下」

「な、何故に!?」

「横島……。あなた、文珠の価値というものが良くわかっていないようね。
 いい? 文珠はかなりの万能性をもっていて、さらに数も少ないから、その価値は計り知れないわよ。
 捨て値でもこの国の単位でいうと1億くらいいくんじゃないかしら」

「い、一億!?」

 横島の脳裏にかつての記憶が流れ出す。





     横島クン。あなたこれから毎週1個、文珠を渡しなさい。

     ええ!? なんでですか?

     あんたはウチの従業員なんだから大人しく渡せば良いのよ!

     まあ、いいっすけど、それなら給料上げてほしいっす。せめて千円くらいは……

     五百円。

     少なっ! もうすこし……

     五百円。

     だから……

     五百円。

     はぁ。もういいです。はい、文珠。ちゃんと時給五百円にして下さいね。

     うふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ????





 美神さんが嬉しそうにニヤけていた理由が今なら解る。

 っていうか涙が止まらない。なんであのころ、俺あんなに貧乏だったんだろ……。

「どうしたの? 横島。いきなり泣き出したりして」

「いや、なんでもない。そう。本当に何でもないさ」

 そう思っておかないとやっていられない。

「ともかく、文珠ならまだ26個もあるし、だいたい三日もあれば一つ作れるから、少しくらいなら使っても大丈夫だと思うんだが」

「……文珠を、作れる?」

「ああ、そうだけど、それがどうかしたのか?」

 横島が不思議そうに聞くと、アルクェイドはまず信じられないものを見たとばかりに驚き、それは次第に馬鹿にしたような目つきへと変わる。
 
 そして、終いには哀れみの目で見つめてきた。

 何か変なこと言ったか俺?

「横島。あなたってよく分からない人ね」

「いや、いきなりなんだ? それこそよく分からんが」

「そうね……横島でも分かるように簡単に説明すると」

 なんか俺の理解度が酷く低いような物言いだが、思い当たる節が結構あるので反論はしないでおく。

「文珠は凄いオカルトアイテムなわけだから、それを作れる横島はもっと凄いわけよ」

 まるで小学生向けとでも言わんばかりの、恐ろしく単純な論法でアルクェイドは横島の価値を説明した。
 
 が、このような説明をするとはアルクェイドはまだまだ横島と言う人間が分かっていない。

「へー、そりゃ凄いな」

 感心したように頷く。

「……それだけ?」

「は? 何がだ?」

 まったく変わらず軽い空気をまとった横島は首をかしげた。

 その姿を見て、アルクェイドは少しだけ横島忠夫と言う人間を理解した。

「そっか。横島にはどうでもいいことなんだ……」

 人の分際を越えた、神のごとき力でも、横島にとっては価値の有るものではない。

 それを理解して、アルクェイドは感心する。
 
 人間とは力に溺れやすいということをよく知っているから。具体的な名を挙げると蛇。

 だが、これは横島をほとんど理解していないからこそである。
 
 たしかに横島は金や力などに特に執着はない。
 
 なぜなら彼が価値を認めるものは唯一つ、女体の神秘だけなのだから。

 まあ、そんなことは知らないほうが幸せである。

 ともあれ、横島は何故かは知らないが、一人納得している様子のアルクェイドを見て、話しは終わりと判断し、元に戻すことにする。

「話しは戻って、学生のことだが、世の中いきなり敵と愛が芽生えるなんてこともあるからな?」

 横島は、少しだけ懐かしく思い、話しを続ける。

「まあ、無理にとは言わんが、すこし話してみたらどうだ? きれいな姉ちゃんに誘われたら即座に寝返るのは世界の常識だしな」

 それは横島だけの常識なのだが、あいにくとこの場に突っ込めるものはいなかった。
 
 なにしろアルクェイドはほとんど城から出たことがないお姫様である。
 
 世界との接続で知識だけは有るが、常識というものは経験の蓄積によって身につくものなのでアルクェイドは横島の意見をすんなりと鵜呑みにした。

「うーん、そうね。確かにわたしを殺すほどの力を持ってるんだし、少し調べる必要もあるから、会ってみようかな」

「そうしとけ。あ、一応これ持っとけ」

 体内にストックしてある文珠を一つ取りだし、『転』と込める。

「……転ぶ?」

「違う。転移の『転』だ。それを使えば、俺の持ってる『移』の場所へ転移することが出きる。
 もしかしたらまた襲われるかもしれないからな、念のため渡しておく」

「うん。ありがと」

 アルクェイドは素直に受け取り、笑顔で感謝の言葉を放った。





 殺された時と、復活した時に損耗した魔力は相当なものだったらしく、アルクェイドの寝つきは早かった。

 三割ほどしかないと言うわりに、いまだ中級魔族並の力を感じるあたり相当なものだと思うが、目下のところ考えるべきは他にあるので気にしないでおく。

 初めに気付いたのは、違和感がなかったこと。

 アルクェイドの第一印象は、美人だが堅い、だ。

 少し経った後のイメージは機械的。
 
 たとえ軽い物言いだろうと、どんな話題であろうと、感情がなく、利害のみを考えていた。

 わずかな会話のみでこれを見抜けたのは、ひとえに横島には物事の本質を見抜くことが上手いからであろう。

 だから、アルクェイドには、いつも違和感を感じていた。

 それが無くなった。

 怒り、迷い、それに、よく笑う。

 とても普通だ。

 いつからか、と考えてみるが、判断材料が少なく断定は出来ない。

 ただ、推測はできる。

 解体されて、復活した時。反応が妙に初々しかった。
 
 おそらく斬られた時に霊気構造が損傷し、自我に変革が起きたと考えられる。

 ここまではいい。アルクェイドの変化はむしろ望ましいもので、横島としてはなんの問題もない。

 問題は、やはり違和感がなかったことだ。

 何故か変化したアルクェイドをすんなりと受け入れ、まったく普通に会話した。

 半ば答えが出ているが、だからこそ横島は思考する。

 アルクェイドを見ていて、思い出した事がある。昼間、アルクェイドの裸を見た時だ。

 欲望のボルテージがうなぎ登りになる中、綺麗だと思った瞬間、ルシオラのことを思い出した。

 かつて横島が愛した魔族の女性。いや、少女。

 そう、少女だ。共通項は大人な少女。

 ルシオラは戦うために無理やり成長させられており、見た目は横島と同じか上くらいだというのに、実年齢は1歳にも満たないというものであった。

 アルクェイドは二十歳過ぎくらいの女性に見えるが、あのときの反応は酷く幼かった。

 そのギャップがルシオラを思い出させたのであろう。

 そして、アルクェイドへの対応は、彼女達へのものと似通っていた。だから違和感がなく、それゆえ違和感を感じてしまったのだろう。

 子供に相対するように、一人前の女性に相対するように、唯ひたすら己の想いをぶつける。

 それこそが、かつて横島がルシオラとその妹達にとった態度なのだ。

 横島はベッドで眠るアルクェイドを見て、少し落ち込む。

「はぁ……。綺麗な姉ちゃんと二人っきりなのに、やる気が起きんなあ」

 欲望がまったく生まれてこない。

「こんなん俺らしくないなぁ。
 あぁ……俺は、どうしたらいいんだ。……ルシオラ」

 横島の声は震え、それはまるで迷子になった子供のようだった。





「はい。かの名高い遠野家の当主に吸血鬼についての講義を願いたく……、はい。はい。
 いえ、お時間はかけません。はい。ああ、ではよろしくお願いします。はい」

 ぽちっと電話を切る。

 相手は遠野家で働いている使用人で、つまりメイドさん。
 
 横島の右わき腹の回路がぎゅんぎゅん回ったのはさておき、当主は不在、というか学校に行っているとか。

 今まで半信半疑であったが、本当に遠野グループの総帥はまだ学生のようだ。

 まあ、だから朝っぱらからの電話でアポなど取れるはずもなく、使用人??否! メイドさんが当主に確認をとり、折り返し電話をしてくれるということだ。

 しかし、GSなどヤクザな商売なので、ギルドとかの紹介でもなければ断られる可能性は高い。GSランクAと言っておいたから、確率は半々と言った所か。

 それに、相手は学生。親しいものなら夕食に呼ばれるくらいあるかもしれないが、初見の横島では昼に会見するだろう。
 
 もしそうなったら平日は不可能であり、必然的に日曜日となるわけだが、今日はまだ火曜日なのであと五日もある。

「……アルクェイドの様子でも見に行くか」

 GSならば、まずはあたりを偵察などして、地形を覚え、吸血鬼が隠れられそうな場所をピックアップするべきなのだ。
 
 だが、横島は下手に強いせいか、それとも知識のなさか、その必要性は分かっていない。

 なので単に暇つぶしの為にアルクェイドのところへ行くことにするのした。





 アルクェイドは町を練り歩いて探すと言っていたが、ターゲットは学生。なので必然的に学校の周りを重点的に探すことになるはず。

 通学路となっている道を歩いていると、そう経たずにアルクェイドを見つけることが出来た。予想は当っていたようだ。

「ん? どうしたんだ、アルクェイド?」

 何故かアルクェイドは学生カバンを持って、ふて腐れたような、憮然としたような、つまらなそうな顔をしてたたずんでいた。

「ああ、横島……」

 真祖の姫君ともあろうものが話しかけられるまで横島に気がつかなかったようで、驚いたように横島に視線を向ける。

 その様子を見て、横島はさらに不審に思い、もう一度尋ねた。

「何かあったのか?」

 アルクェイドは迷うように目をそらし、

「逃げられちゃった」

 そんなことをのたまってくれた。

 ……逃げた? 学生が? 真祖から?

「……どうやって?」

 横島は呆然と、ひどく素朴な疑問を投げかけた。

「えーと、その……」

 アルクェイドは言いづらいのか、少し口篭もる。

 その様子を見て、横島は逆の可能性に思い至り、問いかけ直した。

「どうして逃がしたんだ?」

 文珠並の反則アイテムでもなければ、人の身で真祖から逃げることなど不可能だ。
 
 なので少年が逃げることができたというのなら、アルクェイドが見逃したとしか考えられないのだ。

 全てを察しているかのような横島の問いかけに、アルクェイドは観念して白状する。

「……緊張しちゃって……」

 恥ずかしそうに告げるアルクェイドに横島は、

(落ち着け、俺! タイガーの裸! 西条の裸!! アシュタロスの上腕二頭筋!!!)

 不気味な想像をして必死に耐えていた。

「くっ、鼻血出そーだ」

 なんとか心を静めて、気を取り直して思考する。

 幸いにして横島は世間慣れしていない者達を多く見てきたので、アルクェイドの心情をほぼ完璧に理解することが出来た。

 ちなみに誰かというと知り合いの神魔族全員である。

 例えば魔族のワルキューレは軍人という職業のせいか、何事にも冷徹に苛烈に取り組むのだが、町へ買い物に誘えば初々しい反応をしてくれた。

 とまあ、そのように、いくら力も心も強くても、何気ないことに後込みしてしまうことは有るものなのだ。

 ワルキューレの時は可愛いと茶化したら銃弾の返答が返ってきて、危うく死にかけたので、過去の教訓を生かし真面目な話をする。

「まあ、こういうことには慣れてないんだから緊張するのも無理はないだろ。こんどは俺も着いていくからさ、もう一度誘ってみようぜ?」

「うーん……」

 アルクェイドは難しい顔をして悩む。

 今までこのようなことをしたことがないので、どうすれば良いのか解らないのだろう。

「横島がやるっていうなら、いいよ。それに、コレを捨てるわけにもいかないし」

 そう言って掲げるのは学生カバン。

「なんだ? それ」

「わたしを殺した奴が、逃げる時にカバン落としていったの」

「まあ、殺したはずのやつが生きてりゃ、驚いただろうからなあ」

 カバンを落とすのも無理はないと一人ごちる。

「さて、で、その少年はどこ行ったんだ?」

「あっち」

 と指差す方向を見ると、交差点を挟み、そこには学校があった。

「ああ」

 ぽん、と手を叩く。

「学生だしな。学校行くか」

 納得し、なんて肝の座った奴なんだと感心する。
 
 人殺しして、実は生きてました、などという異常事態におちいっているというのに、のんきに日常生活を送るとは。

 いや、もしかしたら単に現実逃避しているだけか? などと思ったりもしたが、どうでもいいことなので頭から締め出し、思考を切替える。

「じゃあ、ターゲットが出てくるまで散歩でもして時間潰すか」





「さてと、……そろそろかな」

 時刻は四時少し前。日没まであと二時間ほど。

 横島は三咲自然公園のベンチに座り、息をつく。

 散歩ということで町を歩き回り地形を把握する所までは良かったのだが、そのあとターゲットである少年を仲間へと誘うためにアルクェイドに演技指導をしてみたのだ。

 結論から言おう。

 駄目だ。

 薄々感付いていたが、アルクェイドは天然なので、意識した動作というものが難しいらしい。

 いっそ文珠でも使ってやろうかと思うほどに絶望的だった。

 学校の下校時刻となった時点で横島はサジを投げ、アルクェイドには好きに喋ってもらう。
 
 そして横島はいざという時フォローにまわるという、ひどく無難な方法を取ることになった。

「ねえ、横島。行かないの?」

 どこに行くかといえば、やはり学校だろう。
 
 この公園は少し遠いところにあるので、確実に少年に会いたければ、早く学校の辺りに行かなければならない。

 のだが、すんません。疲れたんで、少し休ませてください。理由がなにとは言えないから黙秘しますけど。

 いやあ、女性を責めるなんて出来ないし。そもそも戦闘能力に天と地ほども差がある相手にヘタレなどと言ったら殺されかねないし。

 しかたないので、もっともらしい理由をでっち上げる。

「犯人というのは、現場に戻ってくるものなのだよ。捜査の基本だな」

 一昔前の刑事ドラマのセリフだが、信憑性は欠片もない。
 
 いや、横島が覗き行為をした場所には二度も三度も行くので、……実体験を伴った事実なのだろうか?

「へえ」

 アルクェイドの心から感心したような純粋な視線がとても痛い。
 
 汚れた私をそんな目で見ないで、と転げまわりたい衝動を横島は必死に抑える。

「ほんとに来た」

「……へ?」

 唖然として、公園の入り口のほうを見ると、そこには確かに見覚えのある少年が歩いてくる所だった。

 とくに特徴もない凡庸そうな少年。

 だが実は異常極まりない存在であることは昨日のことで分かっている。
 
 気を抜けば瞬殺されかねない。横島は文珠を手のひらに取り出しておく。

 少年は横島達には気付かなかったようで、見向きもせずに中のほうへと歩いていく。

 そうして、立ち止まった所は、昨日アルクェイドが殺されたところ。

 本当に現場に戻ってくるもんなんだなあ、と妙に感心する横島を置いて、アルクェイドが少年へと近づいていく。

 せっかちなことだと苦笑しながら、横島は少年に見つからないように、遠回りをしてゆっくりと近づくことにした。





「カバン落としていったわよ」

 第一声がそれか、と突っ込みたかったが、少年が真剣な顔をしていたので茶化すのをやめる。
 
 うむ、今は真面目なシーンなのだから。

「もう、余計な手間を取らせないでよね」

「どうやら言葉は通じるらしいな……」

 少年も少年で苦笑いしながら妙なことを言ってくれる。
 
 ……真面目なシーンだよな? そりゃあナイフで解体されたアルクェイドが生きてりゃあ、化け物だと思っても仕方がない。
 
 というかまんま化け物だが、こんな美人には言葉が通じるに決まってるじゃないか。いや、他意はありませんヨ。
 
 ただ、理性を持った人型の妖魔は確実に言葉が通じるってことですよ。

 と、待てよ。

 よく見ればアルクェイドって、透けるような白い肌に蜂蜜のような明るい金髪。
 
 あきらかに日本人ではない。これでは言葉が通じないと考えるのは当たり前か。

「なら……、ついてこい……」

 少年はそう言うと、出口に向かって歩き出す。

 アルクェイドは何も言わず、ついていく。

 俺はいつでもアルクェイドを護れるように、あまり離れずに後ろからついていく。

 反則気味の力を持っていたアルクェイドに致命傷を与えたような人間だ。油断することは出来ない。
 
 なので俺の役割は、いざという時のフォロー。すなわち、アルクェイドが襲われたときに文珠で少年を『縛』ることだ。





 たどり着いたのは、薄暗い路地裏。

 ここなら大声で叫んでも誰も気付かないかもしれない。もしかして口封じでもする気か?

「それ以上、どこまで行くつもりかしら?」

「人に会いそうもない所までだ。どうやら俺は気が狂っているらしいからな」

 つまり殺人狂ってことか?

 横島は物陰からゆっくりと迎撃体勢を取り、すぐにでもアルクェイドを護れるようにする。

「誰もいないはずなのに、一人でぶつぶつ言ってたら気持ち悪いだろ?」

 ……は? 何のことだ?

「……で、幻覚がおれに何の用だ?」

 ……ああ、なるほど。それはまた随分と、ある意味現実的な考えだな。

 殺したはずの相手が目の前にいれば、夢か幻かと思っても仕方ないだろう。

「ひどい言いようね。人を殺しておいてその言い方はないんじゃない?」

 さすがアルクェイド。天然だ。もの凄いセリフだなあ。

「……ち、違う」

「違わないわよ。貴方はわたしをいきなり十七個の肉片に変えてくれたのよ。忘れてなかったから、今朝は逃げたんでしょ?」

「……ち、がう……、俺は……」

 なんか怯えている様子を見ると、本当に一般人みたいだな。この少年。

「すっごく痛かったんだからね。自分の体が切り刻まれた時の痛み、わかる?」

 仲間に引き入れたいんだから、あんまり恨み言は言ってほしくなかったんだが、まあ仕方ないか。
 
 俺も神通棍で滅多打ちにされた時はさすがに文句言いたかったからな。

「わかるかよ……。だ、だいたい死んだ人間は生き返るわけないだろ?!」

「うん。だってわたし人間じゃないもの」

 なんという直接的な斬り返しだ。

「当たり前でしょ。体中バラバラにされて、生きてる人間がいると思う?」

 アルクェイドは呆れたように、まるで当たり前のことだと言わんばかりに胸を張って問い掛けた。

「ふ、ふざけるな! 人間じゃなかったら何なんだよ!!」

「そうね。……一般的には『吸血鬼』って呼ばれてるけど」

「吸血……鬼?」

「そう、吸血鬼。貴方達風にいうなら、人間の血を吸って生きる怪物ってとこかな」

「うそだ。吸血鬼なんているわけ……」

 はて? 
 
 最近は霊とか妖怪とかは一般的に認知されてると思ったんだが、あれか?

 俺の周りだけの常識か? やっぱそうなのか? 
 
 仕事始めてみて、やたらと世間と温度差感じてたんだが、やっぱり超常の生き物ってのは認められてないんだな。
 
 ピートなんかは女性限定でそこらじゅうに認められているが、俺は絶対に認めない。

「じゃあ、貴方に殺されたはずのこのわたしをどう説明するの?」

 だが、さすがに目の前にアルクェイドという証拠があっては認めざるを得ないだろう。

「それよりも貴方よ。わたしを殺した手際の良さ。貴方こそ何者なの?」

「何者って……、俺はただの高校生だ」

「ふー……ん……」

 アルクェイドは少年の返答に、軽くうなりながら首をかしげる。

 はっきり言って、どの口でただの高校生などとほざくか、この殺人鬼めが。と叫びたい。
 
 魔神並にブ厚いアルクェイドの魔力障壁を、まるで紙のように容易く切り裂くほどの攻撃能力を持つものが、ただの高校生? 冗談でも笑えない。

 などと思っている横島であるが、文珠などという反則霊具を作ることができながら、本人はただの高校生だと思っていたりする。

 つまり、人のことは言えない。

「うん、決めた」

 アルクェイドは軽く笑いながら宣言した。

「わたしに協力してもらうわ」

「協力?」

「吸血鬼退治よ」

 どうやらアルクェイドは少年に興味を持ったようだ。仲間にすることにあまり乗り気ではなかったのだが、今はやる気満万だ。

「最近、この街で起こっている殺人事件。知ってるわよね?」

「……? ああ。何人も殺されて、殺された人間の血が無くなって……」

 そういえば被害とか調べてないな。二十七祖クラスが三人もいるんだし、被害状況調べて居場所の割り出しをしないと犠牲者は増える一方だ。
 
 いや、場所がわかっても倒せるかどうかは別問題だが、とにかく小竜姫様の言っていた殲滅部隊とやらが来るまで、なんとか被害を押さえなければならない。

「……まさか」

「ええ、わたしの捜している奴はそいつよ」

 ……ん? 奴? ……一人? ま、いいか。

「おかしな話しよね。自分達で『吸血鬼のしわざか』って言ってるくせに、誰も吸血鬼退治をしないんだもの。だから」

 そこで、アルクェイド達に注がれていた横島の視線がずれる。

 左斜め上。

 寂れたビルの屋上。

 そこにいたのは黒いカラス。いや、カラスは黒いものだが、なにかおかしい。
 
 横島の視線の先にいるカラスは、どこまでも『黒い』色をしていた。

 なぜそれが気になったか、一瞬疑問に思い、そしてすぐに思い直した。

 妖気を感じる。もし鬼太郎なら髪の毛が立っているところだ。

 妖気の出所は……、目の前のカラス……。

「……で、俺は何を協力させられるんだ?」

「貴方にはわたしの盾になってもらう」

「盾……?」

 くあう。

 カラスが静かに鳴いた。

 それが合図だと言わんばかりに、もう一つの妖気を感じる。

 後ろ。

 なにか、とてもいやな予感がする。

「ん? カラスか……」

「まいったなあ。もう見つかっちゃうなんて」

「見つかったって、何が……」

 お前ら、のんきだな。と文句を言いたかったが、もはや時間が無い。

「アルクェイド!」

 叫んで飛び出した。

「え?!」

 少年がいきなりの登場に驚いているが、構っている暇も無い。

 右手に霊波刀ハンズ・オブ・グローリーを出し、左手には盾サイキックソーサーを出して戦闘体勢を取る。

 そして、この路地裏へと入ってきたのは、

「な……犬?」

 少年が呆然としたように呟いた。

 確かにそれは犬、だと思われる。

 ただ、犬にしては大きさが大型犬で済むサイズではなく、二メートルを越すような巨体を持っており、そしてこれはカラスと同じなのだが、『黒い』。

 黒い毛並みの犬というのはいるが、いま横島の目の前にいる犬の色は、軽く言うならつや消しブラック。
 
 詞的に言うのなら全てを飲み込むような漆黒というべきか、どこまでも『黒い』色をしていた。

「横島。わたしが好きにやってよかったのよね?」

「それは、話し合いだけだ」

 笑いながら言うアルクェイドは確実に本気のようなので、横島は釘をさす。
 
 現状でもアルクェイドの方が強いのは分かっているが、怪我人に戦わせる趣味は無い。

 黒い犬は数秒と待たずに駆け出し、一直線に突っ込んできた。

「来るわよ」

「え?」

「な! はやっ!」

 速すぎて腕を振り上げる余裕すらなく、仕方なく回避に専念する。

 犬の突っ込んだ先にはアルクェイドと少年がいたはずだが、アルクェイドがあの程度の攻撃で傷つくはずは無いし、少年は男だからどうでもいい。

 それでもアルクェイド(だけ)が心配で、そちらに目を向ける。

 どうやらアルクェイドは余裕で避けたようで傷一つ無い。ついでに少年もアルクェイドが突き飛ばしたようで、転んでいるが怪我は無い。

 それを確認すると、視線を上にあげてビルの壁を睨みつける。

「痛……! 何をするんだ?!」

 少年が叫ぶが、怪我があったところで横島にはどうでもいい。

「いいから、前!」

 アルクェイドが叫んで、少年はやっと黒い犬がどこにいるのか気付いたようだ。

「うそ……だろ?」

 黒い犬は三階建てのビルの上のほうの壁に立っていた。

 だが、この程度で驚いてはゴーストスイーパーはやってられない。
 
 というか壁に張り付く程度なら横島にも出来るし。

 そして黒い犬は三人を見まわし、姿勢を低くしてバネをためる。

 横島は黒い犬が見ている人物を悟り、即座に右手を入れ替えた。

 ケモノは基本的に弱いものから排除していく。

 つまり黒い犬のターゲットは、地べたに尻餅ついている少年。

「アルクェイド! 頼む!」

 重力によって加速された速度は、先ほどよりもさらに速く、横島の反応速度を持ってしてもギリギリ。

 文珠を使えば余裕だが、切り札は取っておくべき、というか男には使いたくないのでアルクェイドに任せて、横島はサポートに回る。

 右手に霊波刀の変わりに出したのは、左手と同じサイキックソーサー。

 投げつければ爆発し、高い攻撃力を持っているのだが、黒い犬に当てるには遅すぎる。

 だが、横島の真骨頂はからめ手にあるのだ。

 右手と左手のサイキックソーサーを、手を合わせるようにぶつけて瞬間的に霊気の爆発を発生させる。これぞ、

「サイキック猫だまし!」

 霊気を全て光に変換し、強烈なフラッシュで相手の目をくらませる横島の得意技だ。

 獲物を逃さぬようにと、しっかりと目を見開いていた黒い犬は、その莫大な光に目を焼き、身をすくませた。

 それは明らかな隙。

 そして、下からすくい上げるようなアルクェイドの左手は、黒い犬に反応させる暇も与えず、その頭を吹き飛ばした。





「な……、なんだ、今のは……?」

 少年が呆けたように呟く。

「敵の使い魔よ」

「使い魔……?」

「あ、そーだったのか?」

 てっきり敵の手下の魔獣だと思っていたのだが。

 アルクェイドは何故俺が解らなかったのか、理解不能とでも言いたげな複雑な表情を向けてきたが、諦めたようなため息をついて、話題を切替えた。

「見つかっちゃった以上は、敵はわたしが弱っている内に仕掛けてくるでしょうね。貴方には本当に盾になってもらわないといけないみたいね」

「うわー、ひどい言い様だな。盾じゃなくて仲間になってほしいんだが」

「……そもそも、貴方は誰ですか?」

「そういえば自己紹介してないな。俺は横島忠夫。ゴーストスイーパーをやってる」

 ふと、少年にはその手の知識がまるで無いことを思いだし、言い直す。

「まあ、幽霊とかをお祓いする仕事だ。んで、今は吸血鬼退治の為にそこのアルクェイドと組んでる。ま、こんなもんだな」

 言い終わると、アルクェイドに目で促す。アルクェイドは頷き、

「わたしはアルクェイド・ブリュンスタッド。一応、真祖って区分される吸血鬼よ。目的は吸血鬼退治」

「で、おまえは?」

「……遠野、志貴。ただの学生だ」

 ??遠野? あまりある苗字じゃない。関係者か?

「さて、じゃあまずはどこか安全な場所に隠れて、回復を計らないと……」

 アルクェイドはまだ志貴から返答を貰ってないというのに、既に決定しているかのように次の予定を立て始める。

「ちょっと待ってくれ! 今の見てたろ。俺に何が出来るっていうんだ。俺がいたら足引っ張るだけじゃないか!」

 確かにさっきの行動を見る限りでは足手まといだが、なんでだ? 実力を隠してるのか?

「大丈夫だ。アルクェイドを瞬殺したときの実力をだせば、そこらの吸血鬼なんてちょろいもんだ」

「そうよ。凄腕の殺人鬼なんでしょ?」

 アルクェイドも笑顔で太鼓判を押す。

「ちがう……。俺は普通の人間だ!」

「ははは、何だ? 謙遜か? それとも新手のギャグか?」

 人のこと言えない横島が、遠慮の無い問いを浴びせ掛ける。

「ちがう!」

 志貴は必死に否定するが、残念ながらお姫様の気は短いのだ。

「ああ、もう!」

 アルクェイドは本気の殺気を叩きつける。

 横島は二度目な上に、直接浴びせ掛けられているわけではないというのに、体の震えを抑えることが出来なかった。さすがにキッツい。

 そして直接殺気を叩きつけられている志貴はというと、顔色を真っ青にして、もはや震えることすらできないほど恐怖を感じていた。

 生物としての格の差である。

「貴方に拒否権は無いの。協力するか。ここで死ぬか」

 昨夜、横島が説得したとはいえ、やはり解体されたことは怒っているようだ。拒否すれば本当に殺すだろう。

「くそっ……」

 志貴は諦めて、悪態をつく。

「じゃ、契約成立ね」

 逆にアルクェイドは花の咲くような、という形容詞が似合いそうな、本当に綺麗な笑顔を浮かべて楽しそうに言った。

「よろしくね、志貴」





 横島忠夫は思い出す。

 俺は、彼女を殺した責任を確かに取った。世界を救った。

 だが、心残りがある。胸の奥に燻るものがある。どうしても納得できないことがある。

 もっと良い、別の選択肢があったのではないかと、今でも考えている。

 しかし、全ては過去のこと。もう終わったこと。取り返しのつかないこと。

 どうすることも出来ない。

 横島忠夫は覚悟を決める。

 アルクェイド・ブリュンスタッドと遠野志貴。この二人の力となり、けして後悔することのない選択をさせる。

 そのためなら、どんな手段も選ばないと、覚悟を決めた。





「わたしを殺した責任、ちゃんと取ってもらうんだから」















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