『七つ夜』

















 念のため、潜伏先のホテルを変更し、監視されていないことを確認してチェックインする。

 十階まである結構大きなホテルで、アルクェイドはあろうことか最上階のスィートを選んでいた。

 いざというときに逃げづらいとか、防御場所としても微妙とか、そもそも金はどうするとか……
 
 横島にはいろいろ言いたいことがあった。特に最後の問題に関しては盛大に突っ込みたかったが。

 だというのにアルクェイドは軽い様子で、大丈夫、大丈夫と易請やすうけ合いをする。

 横島は一応アルクェイドの戦闘能力は高いということを知っている。
 
 なので、戦略や戦術面においても大丈夫なのだと納得したのだった。

 無論アルクェイドは何も考えていなかったが、知らぬが仏である。

「うん、わりといい部屋ね」

「……わりと? アルクェイド。おまえ、いったいどんな部屋に住んでるんだよ」

 近頃は成金と化している横島の目から見ても、スィートと言うだけあってこの部屋は良いものだと感じる。
 
 それを、わりといい、で済ませるアルクェイドの美的感覚はいかほどのものか。

「別に。ただのマンションだけど?」

 ちなみにそのマンションはアルクェイドに心酔している(仮称)王冠が、金に糸目をつけずに選んだ物件であり、かなり高級だったりする。

 横島はアルクェイドの感覚が分からず、首を傾げるが、どうでも良いことだったので流すことにした。

「ま、いいか。アルクェイド。おまえは夜まで寝てろ。まだ回復しきってないだろ」

「うーん、……そうね。そうさせてもらうわ」

 傷ついた体で日中動き回っていたわりには、しっかりとした足取りでベッドまで歩いていく。
 
 さすが真祖というべきか、それとも横島の文珠が効いたのか。

「それじゃ、夜になったら起こしてよ」

 アルクェイドはそう言うと、そのまま横にぱたんと倒れ、

「……もう眠ったのか。早いなあ」

 ノビタ君並だなあ、と非常に失礼な感想を持つ横島。

 そのまま少し、ダブルベッドで眠るアルクェイドを観察し、

「……あの」

「いや! なんでもない! 何もしようとなんて考えちゃいないぞ! ベッドが広いんだから添い寝できるかなんて、まったくもって……!!」

「少し、聞きたい事があります」

 大真面目な少年、遠野志貴といったか?の様子に、さすがの横島も居住まいを正す。

「なんだ? 前もって言っとくが、夜這いの相談は受け付けないぞ」

「そんなことじゃないです」

 真面目になっても横島は横島であった。

「……俺が、一体何の役に立つんですか?」

 またその質問か、と横島は思ったが、幸いにしてアルクェイドは寝ているので真面目に答えることにした。

「別に、役に立たなくてもいいぜ」

「え?」

「ただ、アルクェイドの仲間になってほしくてな」

「……えーと、どういうことですか?」

 混乱する志貴に、横島は静かに語りかける。

「俺の予想だが、こいつはまだかなり若い。へたをすると十歳に満たないかもしれん」

「はあ……?」

 アルクェイドを指差しながら、いきなり話題を変えた横島についていけなかったようで、志貴は首をひねりながら生返事を返す。

「そういう魔物もいるんだということで納得しとけ」

「はあ」

 まあ、実際にはどうか分からないが、精神面がろくに育っていないことから判断したことだ。

「おまえのせいで今は弱っているが……、ああ、別に責めてるわけじゃない。
 とにかく、本来のアルクェイドの力は、今この街を騒がせている吸血鬼なんか目じゃないほど強いんだ」

 一般的に吸血鬼と呼ばれるものたちは、基本的に二種に区分される。

 一つは“真祖”。種として元から吸血鬼であるもの。

 もう一つは“死徒”。真祖に血を吸われて変質した人間。

 元から超越種である真祖のほうが強いので、横島の発言の根拠はここにある。

「だから、本当は仲間なんて必要無いんだ。力だけで全てが片付くんなら、俺達はいないほうが都合が良い」

 アルクェイドを殺せる力を持つかもしれない志貴と、万能たる文珠を使える横島はいたほうが効率は良いだろう。
 
 アルクェイド一人で倒せるのなら、いてもいなくても結果が変わらないのなら、どうでもいいことだ。

「だけどな、そんなのは……」

 そこで、横島は不意に言葉を切る。

「? どうしたんですか?」

「いや、うーむ……。やっぱ、言うの止めた」

「は? えーと、訳がわからないんですけど」

 横島が切った言葉の先は、彼が人間、妖怪、神族、魔族たち全てに分け隔てのない特殊な存在であるが故に出る言葉。

 GSとして独立した横島はそれなりに世間というものを知っている。
 
 そのため、自分が一般人と比べて特殊な感性を持っているということを自覚しているのだ。
 
 だから、横島はその言葉を言わなかった。

 その言葉は、霊能関係に疎い志貴が聞いてしまえば、強く否定するか、納得してしまうかはさておき、確実に偏見か先入観を与えてしまう。

 できれば、自分で見て、聞いて、考えてほしいので、横島はあまり妙なことを言わないように心がける。

「ん。単なる戯言ざれごとだから気にすんな。それよりアレを見ろ」

 かなり強引に話を切り上げ、無防備に幸せそうに眠るアルクェイドを指差す。

「見てのとおり、アルクェイドはとびきりの美人だ。その上スタイルもいい」

「はあ、まあ、そうですね」

「……襲うなよ?」

「襲いませんよ! いいからさっさと続けてください」

 志貴もいいかげん横島の軽口に慣れてきたようで、大声で言い返した後はさらりと流した。
 
 横島がふざけたことを言うたびに志貴の緊張がほぐれていたのだが、本人は気付いていない。

「実はだな、俺が襲いたくなってしまってだな。……その犯罪者を見るような目はヤメろ。
 ……で、だ、アルクェイドと二人きりになると、自分でもナニするか分からなくてな」

 襲いたくなるというのは唯の方便だが、二人きりになると何をするか分からないというのは本当だ。

 昨夜も、ルシオラのことを思い出して、精神がかなり不安定になってしまった。
 
 まだしばらくは耐えられそうだが、どんどんストレスが溜まるので気を紛らわすことのできる存在が欲しかったのだ。

「そんなわけで、頼むから仲間になってくれ」

「……どこまで本気ですか?」

 はっきり言って、志貴は横島のことをまったく信頼していない。
 
 というか不意に妙なことや、エロいことや、不穏当なことを口走る横島を信頼しろというのも無理な話だが。

「まあ、半分ってとこかな。というか、俺の仲間にはならなくても良いんだが」

 横島は、軽薄そうな口調を止め、まるで祈るように真摯しんしに問いかけた。

「アルクェイドの仲間になってくれないか?」

「…………」

 志貴は、嫌だ、と言うことが出来なかった。

 仲間になっても足を引っ張るだけだと思う。恐怖し、怯えるだけだと思う。死んでしまうかもしれないと思う。

 怖くて、怖くて、嫌だと叫んでしまいたい。

 なのに、言えない。言うことが出来ない。横島の眼を見てしまったら、断ることは出来なかった。

 その眼は切とした光を帯びていて、穏やかなのに哀しそうで、先ほどの言葉が心からの願いなのだと信じさせるだけの説得力があった。

「あんま強制したくないから、今、答えなくてもいいぜ。
 ただ、戦うにしろ、逃げるにしろ、ちゃんとアルクェイドの仲間になるかどうか答えてくれよ」

「……はい」

 志貴はしっかりと頷いた。よく分からないが、この問いは横島にとって大切なことなのだろうから。

 横島は、ほっ、と一息ついた。
 
 最初に言いかけた、アルクェイドの仲間になって欲しい理由の半分。むしろ、本当の理由ともいうべきものを言わずにすんだから。

 その時、不意に横島のポケットからテンポの良い音が鳴り響いた。

「……なんで笑点なんですか?」

「趣味だ。気にすんな」

 言いつつ、横島は携帯を取り出した。
 
 画面に表示された名前は『マザコン』。

「……友人からの電話だ。すまんがしばらくアルクェイドのこと頼む」

 横島は志貴からの返答を待たず、早足で部屋を飛び出した。





「なんかあったのか? 雪之丞」

『おう。ネロ・カオスってやつの情報が手に入った』

「……GSギルドんとこみたいな適当なもんじゃないだろうな?」

『神族と魔族の報告書だ。結構詳しく載ってると思うぜ』

「へえ? 教えてくれ」

『800年くらい前に吸血鬼連中とドンパチやらかしたらしいが、そんときの話じゃネロってやつは何匹もの使い魔を持ってたらしい。
 タイプとしては式神使いの六道家と似たようなもんだろうな』

「なるほど……。使い魔はどんなのなんだ?」

『んー、『黒い獣』としか書いてないな』

「……黒い、獣ねえ」

 思い浮かぶのは昼間の犬とカラス。

「はぁぁぁぁぁぁぁ」

 深いため息をつく。

 少なくとも二人の二十七祖がすでにこの町にいる。
 
 二人いっぺんに来れば、確実に敗北しそうだ。
 
 アルクェイドが回復するまで逃げ切るか、志貴が予想以上に強くでもなければ、勝利はない。

『どうした? ため息なんかつきやがって』

「いや、なんでもない。ちょっと鬱になっただけだ。で、他には?」

『いや、これだけだな』

「そっか」

 情報が一つだけだったとはいえ、それなりに有益なものだった。
 
―――敵を知り、己を知れば百戦にして危うからず

 と、どっかの大量殺人手引書にも書いてあるように、敵の能力を知ることは戦闘で大きなアドバンテージとなる。

『で、そろそろ教えてもらおうか』

「は? 何をだ?」

『しらばくれるな。てめえの現状を教えろ』

「……えーと、だな……」

『近々、ネロと殺りあうんだろ? どこにいるか教えろ。そして俺も混ぜろ』

 戦闘狂まるだしの言葉だが、それは横島にとって慣れたことなので流す。だが、前半部分のほうは流せなかった。

「なんでそのこと知ってんだ!?」

『ネロの情報をコレでもかと言うくらいに真剣に聞いておきながら、まさか無関係とかいうのか?』

 くっ! バトルジャンキーのくせに頭が回るっ!

 などと心の中で悪態をつく横島だが、雪之丞は少しでも横島の力になろうと知恵をふりしぼったので、あるいみ因果応報である。

『さあ、答えろ、横島。おまえは今、どこにいる?』

「…………」

 横島の顔は、知らぬうちに苦虫を噛み潰したような顔となっていく。

 教えることは出来ない。
 
 もし教えて、仲間達が来て、もし、そう、もしも、仲間達の誰かが死んでしまったら、横島は二度と立ち直れない。

『横島』

 雪之丞が促してくる。

 横島は……。

 妙な寒気を感じて下を見る。

「……来た」

『あ? 何だって?』

「すまん。切るぞ」

『ああ!? てめ……』

 横島が携帯を切ると、ほぼ同時に、ホテルの明かりが消えた。

「早過ぎる……!」

 横島は苦々しく吐き捨てた。





 時間は少し戻って、横島が出ていった少し後。アルクェイドが目を覚ましてからのことである。

「じゃあ、さっそく協力してもらいましょうか」

 志貴はなんだか非常に困った事態におちいっていた。

 横島が襲いたくなったという気持ちが少し分かったような気がする。

 アルクェイドは怪我をしていて、それの包帯は替える必要があるわけで、傷は俺がつけたものだから、俺が包帯を取り替える。
 
 うん。なんら不自然な所はない。

 なんら問題はないんで、お願いですからハイネックをそんなに上げないで下さい。

 志貴の精神は微妙にヤバい領域へと片足突っ込んでいた。

「本当なら肉体くらいは全快したはずなんだけどね。
 志貴には霊体まで傷つけられちゃったから、破壊された霊体に引きずられて肉体に傷が出来ちゃうのよね」

 言っている意味はよく分からないが、重要なのは横腹に深い傷があることだ。

 人間ならば致命傷であろう程の傷に、志貴は深い罪悪感を味わった。
 
 それを丹念に消毒すると新しいガーゼで覆い、傷口が開かないようにきつめに包帯を巻きつける。

 志貴は己の自制心を褒め称えた。

 アルクェイドは見るものを魅了する透けるような白い肌を持っており、さらにアルクェイドは無頓着に白のハイネックをかなり上げている。
 
 胸が見えそうで見えなくて、志貴の脳は横島レベルとなりかけていたのだ。

「ん? 終わったの、志貴?」

「……ああ。後はテープを切れば一応終わる」

 だが、何故かハサミがない。今使っているのは横島の常備していた救急セットなのだが、ハサミが見当たらなかった。

 しかたないので自分のカバンを漁る。

「ハサミなんか持ってたかな……」

 しかし、出てきたのは??。

「……なんで、これが……」

 志貴が呆然と、手に取ったのは、??七夜ななやと刻まれた飛び出しナイフ。





「ふーん。これがわたしをバラバラにしたナイフ……」

 アルクェイドはナイフをしげしげと観察する。

「確かに切れ味は良さそう。……でも」

 訝しげに首をひねる。

「おかしいわね」

 材質はよく分からないが、魔力を通すラインはないし、年月によって積み重ねた概念もない。

「てっきり相当な概念武装の類と思ってたんだけど……」

 本当に、何の変哲もない短刀なのだ。

「……志貴」

 何か、アルクェイドには分からない要素が存在する。

「何故、わたしを殺せたの?」

「え? 何故殺せたって、どういう……」

「このナイフだけじゃ、わたしを殺すどころか深手を追わせることすら出来ないのよ」

 特殊であるとはいえ、真祖とは精霊の一種である。
 
 違う場合もあるが、精霊は肉体がいくら傷ついても霊体が無事ならノーダメージで、魔力がある限り何度でも復活できるのだ。

 つまり、なんら魔術的な付加のされていないナイフではアルクェイドの霊体には傷一つつけられない、はずなのである。

「志貴……。貴方は特別なことをしたはずよ」

「特別……?」

 志貴は普通の人にはない、『特別なこと』に心当たりがあった。

「特別っていうのか、その……、線が、見えるんだ」

 八年前に事故に遭ってから、見えるようになってしまった、ツギハギだらけのセカイ。

「生き物でも、石とかでも、その線が見えるところなら全部……。刃物とかでなぞると何故か切断できるんだ」

「……ねえ、今、それ切ってみてくれる」





 志貴はゆっくりとメガネを外すと、目の前のイスを見つめた。

 正直、これってホテルの備品だろ? とか、高そうなんだが? とか、壊したら弁償が。
 
 とか、頭によぎったが、アルクェイドの「だいじょうぶ、だいじょうぶー」とかいうお気楽な言葉で、しかたなく実行する。

 メガネを外したとたん、まるで落書きのように見える線があちこちに見え出す。

 志貴は、その線に向かって、ナイフをのせる。
 
 すると、まったく力を入れていないというのに沈むように切っ先が突き刺さる。
 
 そのままナイフをスライドさせ、線をなぞると、ろくな手応えもなくイスを切り裂いていく。

 明らかに摩擦係数を無視した現象。

 そして、すぐに十二個の破片に解体されたイスが、足元に転がされた。

「……なるほどね。たしかに、それならわたしでも殺せるわね」

 アルクェイドは戦慄と共に、それを認めた。

 武器に異常がなかったので、体に秘密があるとは予想できた。

 見える、という言葉から、なんらかの魔眼であるとも予測していた。

 もちろん、ソレである。という可能性も考慮していた。たけど、ソレは机上の空論なのだ。
 
 御伽話でなら、一人の魔族が持っているが、昔いたという噂だけで、実在していたかは疑わしい。
 
 だから、そんなものがあるとは思ってもみなかった。

「直死の魔眼か……」

「直死の魔眼?」

「そう……」

 アルクェイドは頷きながら、足元にある木片を拾う。

「あらゆるモノには、発生した瞬間から予め決まっている崩壊の時期、つまり『死期』が内包されているわ」

 切断面は恐ろしく鋭利で、鏡を連想させるほどに滑らかになっている。
 
 抵抗値と摩擦係数が限りなく0に近くなければ、こうはならない。
 
 そして、恐らくは、二つの数値は机上でしかありえない0なのだろう。

「貴方はその『死』という情報が『線』として視えているの」

「『死』が……、視える?」

「要するに、あらゆるモノを殺せる眼を持っているのよ。
 外的要因も、魔術的要因も無視して、対象を殺すことができる。そういう意味では、わたしより貴方のほうがよっぽど化け物ね」

 その『眼』の前では、どんなに物理的に強固でも、どんなに魔術的に不可侵でも、単なる壊れるものでしかない。

「化け物……」

 志貴は、自分の異常さを認識して、呆然と呟いた。

 ふと、自分の手が見えてしまう。自分の手の『線』が見えてしまう。



 自分がいかに壊れやすいかが視えてしまう。



 そして、床にも、壁にも、天井にも、無数の『線』が視えてしまう。

 これが、すべて、『死』?



 セカイがどんなに壊れやすいかが……。



 志貴は慌ててメガネをかけた。

 八年前に、恩師から貰ったこのメガネをかけていれば、何故か線は見えなくなる。

 そうして、やっと普通の世界を見て落ち着き、頭痛がした。

「……痛っ」

 急な痛みに思わず膝をつく。

「どうしたの、志貴?」

「頭が……」

 アルクェイドは前触れもなく、下を睨む。

「これは……」

 アルクェイドは気がついたのだ。敵が来たのだと。





「さあ……、食事の時間だ」





 アルクェイドの力はまだ四割ほど。志貴の力は調べてないんで未知数。

 横島は素直に認めた。

 勝てない。

 最良の手段は、二人を連れて逃げること。勝てないなら逃げる。
 
 それは横島にとって当たり前のことだし、大多数の人間はそうする。

 が、横島は迷い、そして、諦めた。

 今、このホテルには百人以上の人間がいる。彼らを見捨てることは、出来ない。

 時間との勝負。

 二人と話すことはおろか、荷物を取りに行く暇すらない。

 一秒経つごとに、誰かが死ぬのだから。

 横島は飛び降りるがごとく、階段を駆け下りた。





「どこに行くんだ!?」

 志貴はアルクェイドに付いて、走りながら叫ぶ。

「一体、何が……」

「……敵が来たわ」

「……敵?」

「とにかく、今はここを出るしかない」

 アルクェイドも横島と同じように考え、そして常識的な判断により逃げることを選択したのだ。

 ほどなく、先ほどまで横島がいた階段の手前で足を止める。

 急がなくてはならないのだが、思わず足を止めてしまうだけの光景が、そこにはあった。

 首を切り落とされた黒い狼。胸を袈裟けさ切りされた黒い豹。上半身が爆散している黒い狐。胴体が泣き別れしている黒い鹿。

 全て横島がやったものである。

 アルクェイドはそれを悟り、強いとは思っていたけどこれほどとは、と感心していた。

 が、すぐに余裕のない顔となる。

 下から新手の黒い獣たちが来たからだ。

「志貴……、先に行きなさい」

 階段を使うのは難しいと判断し、エレベーターの方へ指差す。

「な……」

「早く!」





 横島は九階、八階、七階と降りていく。

 本体らしき大きな気配は、階段を上がってくるんで好都合だ。早く接敵できる。

 突進、袈裟切り、切り返し、逆袈裟、なぎ払い。

 霊波刀ハンズ・オブ・グローリーを振り回して、手当たり次第に使い魔を倒す。

 遠くの敵もサイキックソーサーで吹き飛ばす。

 だというのに、見えるのは、千切れた下半身。
 
 食われた内臓。
 
 転がる手首。
 
 欠けた顔。肉。骨。血。血。血。血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血。

「くそっ! くそっ! 畜生!!」

 すすり泣きすら聞こえない。もう、誰も居ない。

 六階、五階。

「おまえか!」

 禍禍しい気配の先にいたのは、がっしりとした体格の、コートを着た男。

 横島は速攻で、憤怒をこめて切りかかる。

 対する男は、一言。

「食え」

 ごぽり、と水が湧き上がるかのように、男の腹から黒い犬が飛び出した。

「は?」

 車は急に止まれないということで、振り下ろした霊波刀も止められない。
 
 だが、黒い犬の鋭い牙がカウンターで入るのは死につながるので、とっさにずらし、黒い犬を切り裂く。

 そして、コートの男は無傷。

 霊波刀は質量が無いので軽々と振りまわすことができる。
 
 その特性を持って、神速の逆袈裟で切りかかれた。

 しかし、どういった原理かは不明だが、またしても男の腹から黒い犬が飛び出し、しかたなく犬を切る。

 ここで、横島はバックステップで下がる。
 
 実力で攻撃を当てられないのなら、当てる方法を考えなければならない。

「おまえがネロ・カオスか?」

 すこしして、渋いおじ様的な良い声が返ってくる。

「いかにも。このような極東の地まで私の名は知られているとはな」

「なるほど……」

 情報によれば、ネロは何匹もの使い魔を従えているらしい。
 
 そして、さっきの事から考えて、どうやってかは分からないが、その使い魔を体から出せるようだ。

 すでに二十匹ほど倒し、ホテル中にまだいるぶんまで合わせると四十匹を越える。

 普通の魔術師は一、二匹しか使い魔を作らないし、限界までやっても十に満たずに魔力容量がいっぱいになってしまう。

 神や魔ですら数十というのは珍しい。そのあたりはさすが吸血鬼二十七祖といったところだろう。

 問題は、あと何匹の使い魔がいるか分からないことだが、この際それは無視する。

 目的はできるだけ敵を集めて、アルクェイドと志貴。そして他の一般人が逃げる時間を稼ぐこと。

 おそらく倒すことはできない。そもそも倒すつもりなら二人に手伝ってもらうし。

 ネロの強さがアルトルージュ並だと瞬殺される可能性すらあり。
 
 アシュタロスの姿をしていたズェピアとかいうやつくらいだと二、三分持たせられれば御の字。
 
 ロアらしき包帯男くらいなら倒せるかもしれない。

 まあ、基本的に二十七祖なんて化け物は横島の手には余るので、打倒は二の次である。

「さて、俺はゴーストスイーパー横島! 極楽に行かせてやるぜ!」

「……痴れ者が。身のほどを知るがいい」

 横島が『爆』の文珠を構える。

 ネロから黒い犬が飛び出す。二匹目が飛び出す、三匹目が飛び出す。四、五、六匹目が……。

「待てやーっ!」

 慌てて『爆』の文珠を投げる。

 そして発現する大爆発。

 黒い犬たちを吹き飛ばし、ついでに壁まで吹き飛ばす。

 むやみに屋内で使うものではありません。

 そんなことはさて置いて、さらに『爆』の文珠を作り出す。

 舞い上がる煙の向こう。本体であるネロの気配は小揺るぎもしていない。
 
 憎々しいが、幸いにして使い魔の気配は無くなっている。

 ……無くなっていた。

 過去形ですよ、オイ。

 一匹。二匹。三匹。四匹。五匹。六匹。

「何匹いるんだ! コンチクショウ!」

 もう一度投げつけて爆散させる。

 そして、二度あることは三度ある。

「なんでやー!?」

 自慢の逃げ足で廊下を走る。

 背後から迫り来る黒い獣の数はちょうど十匹。

 自分のところの使い魔だけで四十匹を越えている。

「ちょっと多過ぎだー!」

 横島は脚力の限界を目指して逃げ出した。





 志貴はアルクェイドに言われたとおり、エレベーターに向かって走る。

 くそっ。

  一体、何なんだ。

  何が起きてるんだ。

  何が……??

 ほぼ一般人である志貴には、今起こっている異常がろくに分かっていないのだ。

「痛っ…」

 しかも頭痛が治まらず、頭が割れるような痛みが断続的に走る。

 志貴の精神はすでにいっぱいいっぱいであった。

 ポーン。

 何故か志貴がボタンを押す前にエレベーターが到着する。

 思考が混乱している志貴は、つい立ち止まって、待ってしまう。

 そして、扉が開き、中から飛び出してきたのは、口。

 視界いっぱいに黒い犬の大きな顎。

「あぐ……っ」

 志貴は反射的に回避動作をするが、間に合わず、左肩を浅く抉えぐられる。

「う……くっ……」

 うめきながら立ち上がり、つい光につられて、それを見てしまう。

 エレベーターは災害用に別の独立電源を使用する場合がり、たとえホテルが停電になろうと動くし、明かりもついている。

 だから、光の下で、それはしっかりと見えた。

 血に沈む、人であったモノたち。

「ぅうあああああああああぁぁぁ……!!」

 生理的嫌悪から、吐き気を覚える。

「あ……ぁ、あ……。ゲホッ。ゲホッ」

 黒い犬が、志貴を見つめる。

 志貴はそれを睨み返し、

「うくっ……」

 肩の傷に注意が向いた瞬間、

「しまっ……」

 黒い犬は志貴の目の前に居た。

 避ける間もなく吹き飛ばされ、メガネも衝撃で落ちる。

 黒い犬は倒れた志貴を即座に組み伏せる。

 そして、食らいつく。





 首もとの線へ貫き手を放ち、動きを止める。立ち上がると七夜で首の線を刈り取った。

 背後からの敵を、腕を絶って攻撃に対処した後、縦に割る。





 頭痛で目がさめた。

「……う……」

 思考がまとまらないが、とりあえず目の前に落ちているメガネを拾う。

「……血?」

 何故か、手に血がついている。

 辺りを見まわすと、首が切れている犬と、真っ二つになっている獅子がいる。

 ……何故……?

「俺は……、痛っ」

 頭痛がさっきよりも強い。

「塵どもめ。肉片一つ片付けられぬか……」

 その声に、体が震えた。

 声の先へ視線を向けると、そこにはコートを着た男が居る。

 ネロ・カオスである。

 ネロが、一歩。また一歩と近づくに連れ、志貴の頭痛が激しくなる。

 男を見て、根拠など何一つ無いが、志貴は確信する。

 コイツ……、人じゃ……ない。

  わからない……。

  でも、全身が俺に訴えかけてくる……。

  コイツは……、



  『敵』だ!



「食え」

 ネロの体が盛り上がり、異常に巨大なワニが大口を開けて飛び出す。

 その巨大な顎で志貴に食いかかり、

「ほう……」

 血飛沫ちしぶきが舞う。

「ようやく出会えたな……」

 ネロの視線の先。ネロが声を投げかけた相手が、そこにいる。

「アルクェイド・ブリュンスタッド」

 そこには、ワニに腕を少しかじられて血を流すアルクェイドと、無理やり引っ張られて命が助かった志貴がいた。

「……ネロ……。ネロ・カオス」

 アルクェイドは苦々しく、その名を呼ぶ。

「いかにも」

「まさか、貴方がこんな下らないゲームに乗ってくるなんて……。なんだか出来の悪い夢みたいだわ」

「同感だな。私もこのような無謀な祭りの執行者に仕立て上げられるとは、夢にも思わなかった。私にとってもこれは悪夢だ」

 ただし、その言葉の先には、本来ならば、と続く。

 真祖の姫君。アルクェイド・ブリュンスタッドとは本来、並大抵の神族、魔族すら歯牙にかけず、化け物という言葉すら生ぬるい存在だ。

 だが、今はその力の半分も無い。

「……志貴。ここを抜けるわよ」

「おまえ、その腕……」

「さっきのヤツで、ちょっと引っ掛けただけ」

 その言葉に、志貴の顔が罪悪感に歪む。
 
 この傷は志貴を助けるためについた傷なのだから。

「……抜ける?」

 ネロは、まるでありえないものでも聞いたように、疑問を口に出す。

「出口などない。ここが貴様の終着だ」

 いつのまにか、ネロの周りには奥が見えないほどの大量の獣がひしめき、廊下の反対側、アルクェイドと志貴の後ろにも数え切れないほどの獣が待ち構える。

 道はふさがれた。

 だというのに、アルクェイドは嘲あざけるようにそれを否定した。

「……さあ。それはどうかしら」

 全力の一撃を叩きつける。

 強化した爪は全てを切り裂く。

 壁を切り裂く。

 床を切り裂く。

 獣を切り裂く。

 その五本の線の先にいたものは、何一つ例外を許さず、切り刻まれた。

「……ふむ」

 確実に範囲内にいた筈だというのに、何故か傷の無いネロ・カオスは、誰も居ない廊下を見つめ、壁に開いた大穴へ視線をずらした。





「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 どんな状況かといえば、ジェットコースターのようなものだろうか。速度はともかくとして、恐怖は段違いだが。

 志貴はもう叫ぶしかなかった。

 アルクェイドは前にも後ろにも逃げられなかったので、横から逃げたのだ。

 つまり、十階から飛び降りたのだ。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 アルクェイドは真祖なので、肉体強度は人間とは段違いに高く、そのまま飛び降りても軽傷で済むだろう。

 だが、志貴は単なる人間である。ノーロープバンジーなどもってのほかである。

 一応そのあたりを考えているのか、アルクェイドはホテルの外壁に爪をつきたて、無理やりブレーキをかけて速度を落としている。

 そして、ついに着地。

「うわっ!」

 必然だったのか、運が良かったのか、衝撃で体が痺れたものの、怪我は無い。

「志貴。走って!」

 腰が抜けないだけで誉めて良いような状況だというのに、アルクェイドはけろりとした顔で志貴を促す。

 志貴も早く逃げなければならないことは分かっているので、爆発しそうな動悸をなんとか落ち着けると、恐怖で震える足を無理やり動かして走り出した。
















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