『血戦(前)』

















 ……熱い。

 体が、まるで燃えているかのように熱い。

 横島の人生経験によると、こういう場合は本当に燃えているときもあるので、比喩表現じゃないあたり侮れない。

 しかし、炎の眼を見たときに消し炭にされかけた経験から言わせてもらえば、
 
 重度の火傷はもはや熱さなど感じないので、この熱さは火によるものではない。

  思うに、怪我による発熱だろう。

 美神さんに殴られた時や、美神さんに蹴られた時や、美神さんに踏まれた時や、美神さんに神通棍でしばかれた時の感覚によく似ている。

 そこで、自分が怪我をしているということに気づいたときに思い出した。

 自分に怪我を負わせた存在。

 ネロ・カオス。

 横島は、ネロ・カオスに一太刀も浴びせることなく、敗北したのだ。

 ……怒り。

 自分自身に怒りを覚える。

 この手は何の為にあるのか。この力は何の為にあるのか。

 誰も救うことが出来なかった。敵に全く届かなかった。

 この力は何の為に。

 この手は……。

 虚空に手を伸ばす。

 何も無い。

 ただ、何かを、横島本人にすら自覚できない何かを掴みたくて、手を伸ばす。

 何も無いはずの虚空で、指先に何かが触れた時、横島は口を開く。

「お……」

 声が出そうになる。

「おぉお……!」

 抗議の叫びが、憤りの声がほとばしる。

 手が確かに何かを握り締めた時、身から溢れ出る怒気にマカセテ叫びを上げた。

 臆する心を吹き飛ばし、理不尽に向き合うために、横島は咆哮した。





「おおおおおお……!! おっぱいに金網っ!!」





 目がさめた。ええ、さめましたとも。

 横島の目の前には、何処かで見たことがあるようなするメガネをかけた優しそうな女性と、黒鍵。

「いやー! やめて! 殺さんといてぇー!」

「じゃあ、まずその手をどけてくださいね?」

 女性は横島の喉元に剣を突き付けながらも、にこにこと笑いながら言った。
 
 曇りの無い笑顔がひどく恐ろしい。

「へ?」

 手?

 横島は自分の手を見る。

 何故かは分からないが、横島は布団に寝かされていたようで、布団の中に置かれていた左手を取り出す。

 獣たちに容赦なく噛まれまくったはずだが、丁寧に包帯が巻かれており、中身がどうなっているかは見えない。

 けれど、傷みはかすかにしか感じず、食い千切られた欠損がなくなっていることから、高度な霊的治療が施されたようだ。

「……ああ! 治療してくれてありがとうございます」

 治療してくれたのは目の前の女性であると思い、まるでハンコを押させる寸前の結婚詐欺師のように誠意ある笑顔で礼を述べる。

 左手を開いたり閉じたりして調子を確かめる。ついでに右手も開いたり握ったりする。

「……あんまりおいたが過ぎると神罰が下りますよ?」

 すでに横島の喉では2ミリほど神罰が下ってたりして、ちょっぴり血が出ちゃってたりもする。

(だが、俺は負けん! 神罰がなんぼのもんじゃ! 神だろうが悪魔だろうが俺は止められん!
 この右手が! この右手が! 右手が全て遠き理想郷を掴んだんじゃ!!」

 天罰覿面。

「な・に・が、アヴァロンですか? ん?」

「やば、声に出てた!! なんでいつも俺は思った事を口に……
 い、痛っ! ささっ、刺さってる! めっちゃ刺さってるっすよ!!」

 つまるところ、朦朧としていた横島が右手に掴んだのは女性の胸であったと。
 
 まあ、横島の自覚していなかった動物的なナニかがそうさせたのだろう。





「では、まずは自己紹介をしましょう。わたしはシエルといいます」

「はっ!俺は横島忠夫であります! 彼女はいなくて、職業はゴーストスイーパーで、性別は男で、趣味はのぞ……!!」

「ストップ」

「ひいっ! こ、殺さないでっ!」

 大の男が恥も外聞も無く怯えて涙を流しながらガタガタ震えるさまは、異様の一言に尽きた。

 横島の身に何があったのかは、ところどころナニかで汚れた布団が物語っている。

「そ、そこまで怯えることないじゃないですか……」

「ひっ! はっ、はいっ! 怯えません! だから殺さんといてぇ!!」

「…………」

 シエルは軽くため息をつくと、話を続ける。
 
 どうやら無視することにしたようだ。

「あなたのことは調べさせてもらいましたので、自己紹介は不要です。
 以降の話し合いを円滑にするためにわたしの身分を明かしておきますが、わたしは聖堂教会のものです」

「あれ……?」

 横島はシエルの言葉に気になるところがあり、やっと正気に戻る。

「埋葬機関じゃないのか?」

 そのとき初めてシエルの笑顔が崩れた。

 緊張を含んだ警戒の硬い表情。

「あっ? え? いや? ほら? 唐巣神父に聞いたんだ? 黒鍵とか? 特殊な剣を使うのは埋葬機関ぐらいだって?」

 なぜか全て尻上がりの疑問系で弁解して、警戒心を解こうとする横島だが、

「黒鍵は教会の基本武装です。扱いが難しいために愛用する代行者は少ないですが、埋葬機関だと特定できるものではありません」

 取り付く島も無い。

 だが、横島としては真実を言っているので、これ以上の弁解はできない。

 横島はまさか唐巣神父が悪霊浄化武装としてマリアミサイルとかほざいてマリア像をぶん投げたりする
 
 異端どころかキワモノ神父であったために、教会のことを詳しく知らなかったなどと思い当たるはずもない。

「……まあ、いいでしょう。確かにわたしが黒鍵を使うというのはかなり知られているはずですし」

 シエルはあまり納得はしていないものの話題を流した。今現在の目的とはあまり関係がないから。

「察しのとおり、わたしは埋葬機関の一員で、七位を拝命しています」

 ……七位?

「えーと……?」

 横島はうろ覚えの知識で、なんとか思い出そうとする。が、すぐに諦めた。

「七位というのはどういう意味で? というか、そもそも埋葬機関ってどういうとこだったっけ?」

「はい?」

 予想外の質問に、シエルは思わず呆けた声で聞き返してしまった。

「えーと、聖堂教会は解りますよね?」

「たしか、……教会で悪魔退治とかを専門にしてる異端狩りの部門、だったかな」

「ええ、まあ大筋はあってます。それで埋葬機関といいますのはその中でも一番過激なところですね。
 能力があって教会にとって都合の悪いモノを始末するのなら誰であっても一員になれる。
 事実、吸血種すらメンバーになっている、狂信者ですらない力の塊が集まっている場所ですね」

 シエルは自分が所属している場所だというのに、容赦なくこき下ろす。
 
 嫌いなのだろうか? と、ぼんやりと横島は思うが、シエルはさくさく説明していく。

「メンバーは七人と予備のための一人を合わせた八人で構成され、数字でナンバリングされています。
 そして、わたしは正規メンバーの末席である七位であると、解りましたか?」

 微妙に上目使いで指を突き付けられ、横島はつい返答してしまった。

「はい! 解りました、先生!」

 いや、なんか先生っぽいんだよなぁ。

「……はぁ」

 何故かふかーいため息をつくシエル。

「なにか気が抜けてしまいました」

 横島を相手に長時間シリアスを保つのは非常に難しいのである。特に女性は。

「さて、自己紹介はこれくらいでいいでしょう。こんどはあなたの目的を聞かせてください。
 以前、この町を離れるように忠告したはずです。命を危険にさらしてまで、この町に留まっている理由は何ですか?」

 目的に、理由か。

 横島は少し考える。

「そうだなー」

 正直に言ってよいものか。

 アルトルージュの住所と電話番号と趣味とスリーサイズが知りたくて、手がかりを捜しにこの町に来たと、正直に言ってしまっていいんだろうか。

 今思うと、これってもしかしてストーカー?!

 マズイ! これ以上警察のやっかいになるとGS免許が剥奪されてしまうかもぉおおおおおおお!!

 ということを顔色一つ変えずに考えたのち、まるで異様に金銭を要求してくる新興宗教家のように綺麗な笑顔を浮かべて、

「アルクェイドと約束したんだ。一緒に戦うってな。だから、俺だけ逃げるわけにはいかないんだ」

 などと言ってのけた。

 真面目な顔をすると、一見真人間にみえるから不思議である。

 シエルは以前の調査によって横島が魔神大戦の英雄だということを知っている。
 
 ので、まともな人間であるという錯覚を持ってしまっても仕方ないだろう。
 
 つまるところ、シエルは横島の言葉を信じてしまった。

「解りました。それだけの覚悟があるのならもう何も言いません。
 ですが、アルクェイド・ブリュンスタッドは吸血種の上位である真祖です。
 いまでこそ大人しくしていますが、いつ血を吸うか分かりません。そのようなものと一緒に戦うというのは」

「俺は、まだアルクェイドと会って二日しかたってないけど」

 横島はシエルの言葉にどうしても我慢ならず、むりやり途中に割り込む。

「むやみに血を吸うようなヤツには見えなかった。だから、信頼できる。一緒に戦える」

「……解りました」

 シエルは静かに頷く。

「信用します。あなたとアルクェイド・ブリュンスタッドを。信頼はしませんが」

「それで十分だよ」

 なにやらひどく真面目な雰囲気になってしまったので、横島は出来るだけ軽く言った。

「本来は埋葬機関として、魔族の因子をもつあなたや真祖のアルクェイド・ブリュンスタッドは即座に浄化しなければいけませんが」

「げ?!」

 いきなりえらく物騒なことを言い始めたシエルに、横島は目をむいてドン引きする。

「今回は人に害をなさない限り見逃してあげます」

 続いた言葉に、横島は、ほっと胸をなでおろした。

「そっか。ありがとな」

「アルクェイドととお……学生服の少年は上手く逃げられたようです。
 わたしは貴方達に手を貸すつもりはありませんから、早く合流したほうがいいですよ」

 二人のことをすっかり忘れてました。とは言わぬが花。

「あー、うん、じゃあ、そっちも気をつけてな」

 横島は痛む体をおして、ごまかすかのようにそそくさと玄関から出て行った。

 シエルはその様子を、苦笑して、どこか眩しそうに見送った。





 ところかわって、GS横島除霊事務所ではいまだに会議が続いている。

 小竜姫が援軍を手配する間にオカルトGメンの西条と美神美智恵がネロの居場所を突き止めようとしていたのだ。

 布陣はアシュタロス事件のときと同じメンバー。ヒャクメも必死に探している。

 ちなみに三人は徹夜。先ほど、メンバーが集まってきたところだった。

「さっき見えたんだけど、また見えなくなったのねー」

 ヒャクメが小竜姫に報告する。

「ヒャクメ、それは一体どこですか?」

「三咲町という町なのね」

 小竜姫は静かに考える。

 そんな中、何もすることがないシロとタマモは大事件の緊急特別報道番組を見ていた。

 タイトルは『三咲町で大事件発生! 消えた人間はどこに?!』というものだった。

『ここからは予定を変更して、昨日起こりましたセンチュリーホテルの事件の特集をお送り致します』

「ねえ、その三咲町って場所のニュースがやってるわよ」

 タマモが声をかけると、事務所にいた人間の視線が集まってくる。
 
 新聞の一面にもなっていたが、誰もが情報を知らないらしい。
 
 その場に居た人々はテレビに集まってきた。

『百数十名が忽然と姿を消し、全員の行方は不明のままです。警察は行方不明者の??』

 ニュースが流れていくうちに、暗い影が広がっていく。

『現場の床や壁からは血痕の他に動物のものと思われる大量の毛が発見されており、事件との関連が調べられています』

「小竜姫さま、これは……」

 美智恵の言葉に小竜姫はしばらく黙っていたが、重く口を開いた。

「おそらくは使い魔による殺害、……ネロ・カオスでしょう。人間はすべて食べられたようですね」

 食べる、という言葉に美智恵は固まった。

 さらにその意見を補強するかのように、ピートが話をつなげる。

「十分ありえます。彼は僕の父より長く生きて、すでに吸血鬼としてのレベルではありません」

 どの言葉に魔族のワレキューレも続けた。

「魔族と神族の混合部隊ですら滅ぼすのは難しいと思う。
 奴は800年前に戦った時点で、すでに異常なほどの不死性を持っていたと報告されている。
 霊的な攻撃ならば気休め程度には通じるが、普通の攻撃ではダメージすら与えられないだろう」

「つまり防御は完璧っていうことね」

 ここにきて、横島の離反は大きかった。

 文珠ならば『脆』や『滅』などで、いかなる防御も突き崩せる問答無用の攻撃が出来る。
 
 いざとなれば『合』『体』の文珠で有効なダメージを与えることが出来ると考えられる。

 そのころ、テレビでは行方不明者のテロップが流れていた。

 その中で、シロとタマモはとんでもないものを発見してしまう。





『タニガワコウ。ヨシムライサム。シマバラユウコ。オオハシケンジ。ヨコシマタダオ』





 ヨ・コ・シ……?

 二人は、はっとして、画面を食い入るように見た。





 島原裕子。

 大橋憲次。

 横島忠夫。





 横島、忠夫?





 二人は固まっていた。まさか、三咲町に横島が行っていて巻き込まれたとは考えていなかったのだ。

「嘘……」

 ネロ・カオスの驚異について話し合っていた会議の面々だったが、タマモの言葉に全員が注目する。

 そして、全員が名前の場所で絶句した。

 どれだけの時間がたったのだろうか。

 事務所の電話が鳴り響く。

 しかし、しばらく誰も動こうとはしなかった。

 やがて、一番最初に我に帰った雪之丞が動き、電話をとる。

「横島・伊達除霊事務所だが、今は臨時休業中だ」

『あなたのお取りになった電話番号は、ただいま貴様のようなイエローモンキーに対してはいっさい使われておりません。
 もう一度、電話番号をその足りない脳みそと節穴の目でご確認の上……』

 電話から聞こえてきたのは、ふざけたことを言う、どこかで聞いた声。

 即座に誰の声か気付き、ぶちきれた。

「横島かぁ!!」

『よっ。いつのまに臨時休業なんかにしたんだ?』

「んなこたぁ、どうでもいい。いきてるんだな?」

『はあ? まあ、そりゃあ生きてるが。俺はプールいっぱいの裸のねーちゃんに埋もれて溺死すると決まってんだ。勝手に殺すなよ?』

 なにやら病的なことをほざく横島だが、すぐに真面目な話になる。

『それよりも、まだ神魔の援軍は到着しないのか?』

「当たり前だ。一日や二日で到着したら、GSはいらねえよ」

 その言葉で、向こうの横島の声が黙り込む。

 だが、すぐに明るい声が返ってきた。

『分かった。こっちでなんとかする。これ以上はそっちに迷惑をかけられないからな』

 ブツッ、と回線が切られる音がすると、ゆっくりと受話器を置き、雪之丞は振り返った。

「横島の奴だよ。意外にも大丈夫そうだったぜ」

 横島が元気そうで、よほど嬉しいのだろう。雪之丞の機嫌はかなりよかった。

 だが、まったく逆のことを考えた者もいた。

「……かなりやばいわね」

 呟いたのは横島のかつての上司、美神令子だ。

「なんでですか? 横島さんが無事で電話をかけてきたんだったら……」

「だから、それが危険だって言ってるの。あいつが元気に連絡してくるような性格だと思う?
 かつての横島クンならともかく、今の横島クンは立派なGSよ。その彼が、生存を報告するためだけに電話をかけてくると思うの?」

 その言葉の意味に気が付いたおキヌが慌てだす。

「じゃあ、横島さんは……」

 おキヌの言葉に静かに頷く令子。

「間違いないわ。戦うことも難しいくらいの大怪我をしてるわね。ったく、世話が焼けるわ」

「令子、何処に行くの!?」

「間に合うか分からないけど、援護に行くしかないじゃない。それだけ切羽詰まってるって事でしょ」

 美神令子は走り出す。すでに午後を回ってしばらくたっている。

 高速を飛ばして夜までに着けるか?

 首都高速を止めるとしてもそれなりの時間がかかる。

「令子くん、待ちたまえ」

 唐巣が美神令子の行動を止める。

「君だけで行っても仕方ないだろう。違うかな?」

 唐巣は言うと、ピートに視線を向ける。

 それにピートだけではなく、全員が頷いた。

「今、ヘリコプターを準備してる。少し時間はかかるが、首都高を止めたりする時間よりは早く済むはずだ」

 西条は携帯で様々な場所に連絡を取りながら、彼女を諌めた。
 
 それに美神令子は少し周りを見たあと、大きく息をついた

 横島の居場所も化け物から隠れているのなら、ヒャクメでも簡単には発見できないかもしれない。

 だけど、助けるのは何も出来なかった自分の努めであろう。

 それが、……あの大戦の万分の一でも罪滅ぼしになるのなら。

 助けなければならない。

 美神令子はそう決意すると、昼間の空を見上げたのだった













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