一文字魔理はアン・ヘルシングが勝った話を聞いた時、六道女学院の中では平静を保っていた方だった。

 と言うよりも、彼女はアン・ヘルシングを知っている。

 横島忠夫とピエトロ・ド・ブラドーの送った刺客。それはタイガーがたまたま聞いた話を聞いていたからだ。

 六道女学院でも人気があるピート。前回の大会で審判を務めた彼は焦燥しきって戻ってきたのを覚えている。

「こんなにレベルの低い人間が受かるなんて、どうにかしないと」

 質が揃わず、押し出されてGSになった人間も多い中で向上心を保っていられたのは僅か一部。

 そのピートの危惧は正解だった。六十四人の合格者のうち、半分が再起不能になった最悪の質。

 次のGSギルド長が役人出身ではなく、現役のGSが選ばれたのは理由があった。

 百戦錬磨の唐巣の愛弟子にして、最後の弟子と名付けられたピート。彼に与えられた任務が質の向上。

 ピートが横島に相談していたのをタイガーはたまたま聞いてしまい、それを魔理に流した事で今回の大会の刺客が分かった。

 そして、それは名に恥じぬ刺客。一回戦であっという間に注目の的になった事で達成したともいえる。

 強い相手。それは一文字魔理にとっては恐れる事ではない。

 周りには勝てないと思えた人間が何人も居る。同級生にだって、弓かおりと言うトップクラスの存在が居た。

「慌てる必要がどこにあるんだろうな」

 魔理がポツリと漏らした言葉。

 六道女学院のメンバーには聞かれなかったが、彼女からすればGS免許自体が本来は高嶺の花。

 今ここに居る事は数年前の自分には考えられなかったと思う。

「一文字さん、準備は出来ました?」

 そんな中で弓かおりが声をかけてくる。

 着替えた姿は不良時代に使っていた特攻服。お嬢様学校である六道女学院には決して合わない格好だが学校は許可を出してくれた。

「あたしは準備は出来てるよ。そういうあんたはどうなんだ?」

「私も準備は出来ていますわ」

 二人は黙ってしまう。

「なあ」

「あの」

 二人が同時に声を出し、同時に言葉を止めてしまう。

「一文字さんからどうぞ」

「あ、ああ。いや、あの時に似てるなって思ってさ」

「あの時?」

「ほら、一年の対抗戦だよ。あの時も緊張感に包まれた雰囲気だった」

 緊張感というよりも険悪だったわけだが……それも良い思い出だ。

「私は強くなったかな」

「十分強くなりましたわ。一文字さんから見て、私はどうです?」

「強くなったさ。一年の時なら完封されるかもしれない」

 その二人の状況を周りは邪魔をしなかった。出来なかった。

 GS試験が終われば、六道女学院のカリキュラムは大体終了になる。

 後は一般の授業こそ出るが、霊能と言う分野に関してはそれぞれが別々の道を選んでいく。

 こういう風にお互いについて話す時間は減るだろう。

「魔理さんは一回戦の相手を知ってますの?」

「ああ、さっき見てきた」

「海外からの刺客、ですわよ?」

「知ってる。だけど、アン・ヘルシングと同じぐらいの強さって事はないだろ」

 弓かおりが頷くのを見て、魔理は大きくため息を吐く。

「横島さんもとんでもないのを振り込んでくれたよな」

「なぜ、そこに横島さんが出てきますの?」

「えっ、というか所属見てないのか? あれ、横島・伊達除霊事務所所属だぜ」

「何ですって!? 雪之丞は全く話してくれませんでしたわ」

「というか、横島さんとピートさんの振り込みらしいんだけどな。私もタイガーが盗み聞きしなきゃ知らなかったよ」

 魔理の言葉に弓かおりは苦笑する。

「おーい、一文字。そろそろ出番だぞ」

「はい、今行きます」

 呼びに来た教師の声に魔理は答える。魔理が立ち上がった瞬間、目の前に弓かおりの拳が出された。

 それは友としての言葉の代わりで、雪之丞から教えてもらったのかもしれない。

 彼女が本来やらないであろう行動に、魔理は思わず目を合わせてしまった。

 同時に零れる笑み。

 そして、拳が軽く触れると魔理は試合場に出て行った。魔理は思う、この試合は負けられない……と。






 試合場、そこには二メートルに届きそうな大男が立っている。

 筋骨隆々でボディービル大会に出れば、そこそこの成績が取れそうな感じだ。

 実際、学科よりも実技試験の方が点数は良い。霊力系を霊力任せに壊してしまったという逸話も教師から聞いていた。

「はっ、粋がったガキか。まあ、悲鳴を上げられる程度に壊してやろうかね」

 大きな態度を崩さない。

 それは恐らくは自分を大きく見せているわけでもない。

 彼は大きな挫折を味わった事がないのだ。粋がっていた、魔理とは違う。

 だけど、その頃の彼女と今では全然違う。だからこそ、冷静に見る事が出来た。

「別に構わないけど、余り甘く見ないほうが良いぞ」

 この試合はゴーストスイーパー試験。決して対人の戦いではない。

 故に必要なのは、体の大きさでも言葉でもない。必要なのは霊力と、負けない意志。

 二人の気配は戦いに向かっていく。審判は頃合いを見て、手を上げた。降ろされれば試合は始まる。

 審判は小笠原エミ。タイガーの師匠にして、六道女学院の臨時講師をも務めている。

「はじめ!!」

 エミの言葉と同時に、相手の巨体が一気に差を詰めた。

 思った以上に鋭い拳。そして、動きは軽い。

「ボクシングスタイル、つまりはボクサーか」

 そして、彼はヘビー級の体格をしている。日本でヘビー級は殆ど居ないと聞いた。

 彼はそんなボクシングの世界に見切りをつけて、GSという新しい世界に向かってきたのだろう。

 ボクシングなら、体格と体重で勝利が決まってもおかしくない。

 体重で言うなら、魔理は男性で言えばミニマム級という一番軽い場所に属しており、彼は確実にヘビー級だ。

 相手は確かに勘違いしていると審判であるエミも、そして一文字魔理も感じていた。

 これはGS試験だ。体重と言うのは確かに関わるかもしれないが、ボクシングの試合ほど致命的な差になることは無い。

 それに一文字魔理は……こういった体格の相手は何度か訓練で戦っている。

 彼はタイガーの体格と同等。ゆえに大きさを生かした戦い方は熟知していた。

 体格に怯むことなく一歩踏み込む。そして、胴体への一撃。

 次の攻撃が来る前に射程外に逃れる。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す攻撃を名の通りに行う姿は観客席からも、どよめきで答えられた。

 大きいということはそれだけ可動範囲が広いということ。パワーとパワーに慣れた戦いでは対応しきれない。

「ちょこ、まかと、動きやがって!!!」

 だけど、無傷とはいかない。乱雑に振り回される抵抗の拳は魔理を捉える。

 体重差で大きく体制を崩す魔理だが、すぐに床を転がって起き上がった。

「へへっ、やるじゃねえか」

 魔理の笑いに相手の表情が強張る。

 そこには作り笑いではない、確かな楽しさと言う意味の笑いがあったからだ。

 六道女学院の中でもずば抜けた体力と頑健さの持ち主。

 その頑健さは伊達雪之丞やタイガーも認めており、現役GSを見渡しても彼女ほどの不屈の精神を現したGSは居ない。

 彼女は本来のGS試験で言えば優勝筆頭候補。

 下手をすればGS試験のルールだけで言えば、六道女学院で最強の名を取った弓かおりを超えるかもしれない。

「だけど、もう少し霊力の使い方ってのを覚えたほうが良いぜ。昔の私と同じだ、あんた」

 大きく息を吸うと一気に吐き出す。

 そして、彼女は床を蹴り相手との差を詰めた。

 そこからは一方的だった。反撃の暇を与えず殴っていく。

 一撃の攻撃力が足りないなら、百撃で対応すればいい。

 一発の攻撃が軽いというなら、相手が一発打つ前に三発打てば良い。

 始まったのは速度の暴力。現役GSたちすら、息をのむほどの霊力をスムーズに使った攻撃は明らかに力の差を見せつけていた。

「ストップ!!」

 エミの言葉と同時に飛び退く。すでに相手は戦意を完全に喪失してしまっていた。

「勝者、一文字魔理!!」

 スタンドから沸く大喝采が彼女の力を表している。

 素人では対抗できないほどの強さ。これぞ、GS試験の優勝候補。

 そんな声すらも出てくる中で魔理は敗者を見ていた。

「どうしたの? リング外に出ないワケ?」

 エミが問いかけると、魔理は何とも言えない表情で観客席を見た。

 そこにはタイガーの姿や、Fブロックに試合があるはずの弓かおりの姿もある。

「いや、何ていうか。私も間違ってたら、ああなってたのかなって」

「……私は審判だから何も言わないワケ。早く外に出てくれないと、次の試験が出来ないのよ」

「すいません、今すぐ出ます」

 魔理は頭を軽く下げると、出て行った。






 唐巣和弘はその様子を微笑みを浮かべながら見ていた。

 先ほど倒した人間はポーランドから連れてきてもらった一昨年合格した、ポーランドの若手GSだったからだ。

 つまりはプロ。それをプロ候補が倒したジャイアントキリング。

 唐巣と言う人的ネットワークをフルに活用した物だったが、まずは一勝目と言う処だろう。

「それにしても」

 遠くに居るピートと目があったような気がした。

 アン・ヘルシングに関しては唐巣としても想定外の方向に出てしまっている。

 彼女を呼んだのは唐巣だが、彼女の面倒を見たのはピートだ。

 ピートが修行を付けて、その援護を行ったのは横島。

 横島・伊達除霊事務所が送り出すGSの第一号は彼女に決まりだろう。

 噛ませ犬になってもらう予定だった。それが大きな経験となって、向こうでGSになってもらう予定。そこまでが唐巣の予定だったが……

 大きく計画は狂わされてしまっている。

 色々と準備して覆されるのは少々厳しい。だけど、弟子であるピート、そして孫弟子である横島の成長は見ていて嬉しくもあり、頼もしくもあった。

 まあ、それは……GS勢力の拡大と言う事で文句を言う役員を黙らせる事にすると唐巣は考えを切り替えていた。

 GSに敵は多い。国際社会のオカルト勢力では新入りだからだ。

「さて、問題はここからかな」

 この先にはGS試験の筆頭候補、弓かおりが出てくる。

 さらには六道女学院中等部からの特別参加で、公式では最年少記録になるはずのタマモの姿も。

 シロに関しては底が見えないのが恐ろしい。彼女も突破は確実と見られていた。

 後は特別枠で合格が確定している氷室キヌも、苦手な実戦形式の試合で何処までやれるかが注目。

 この辺りが負けるとなると、唐巣の一手は失敗になる。当然、その時の対応も考えてはいるが一文字魔理の実力を考えればそれ程気にしなくて良いのかもしれない。

「こう見てみると、今回のGS試験は粒揃いの状況みたいだね」

 唐巣は穏やかな表情で微笑む。

 底上げしたGS試験。この大会を彼女たちがどのように勝ち進めることが出来るか。

 唐巣は不安よりも期待感を膨らませながら、この大会を審査しようと心に決め、すでに次の試合へと注目を移していた。






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